「喪中だから、新年のあいさつは控えたほうがいい」
そう言われて育ってきた方は、とても多いと思います。
でもその一方で、年が明けた瞬間にどこか息苦しさや、置いていかれるような感覚を覚えたことはありませんか。
実はそれ、その人の心が冷たいわけでも、常識がないわけでもありません。
ただ、人が作ったルールと、自分の本心がずれているだけなのです。
今日は「喪中でも新年のあいさつをしていい」という視点から、心が少し軽くなる考え方をお話しします。
喪中のルールは、人が作った「社会の約束」
喪中という考え方自体、とても大切な意味があります。
亡くなった方を想い、悲しみの時間を大事にするための、やさしい配慮でもあります。
ただ一方で、この「喪中だから○○してはいけない」という細かな線引きは、人が作った社会的な慣習です。
自然界や魂の世界に、厳密なカレンダーや禁止事項があるわけではありません。
私自身、数年前に身内を見送った年のお正月、同じことで悩みました。
年明けのあいさつを控えながらも、心の奥では「新しい一年が始まったこと」をちゃんと感じていました。
その感覚を無理に押し込めたとき、逆に胸の奥が苦しくなったのを覚えています。
喪中という言葉に縛られすぎると、自分の感情まで否定してしまうことがあります。
ルールは、人を守るためにあるもの。
人を苦しめるためにあるものではありません。
亡くなった人は「普通に生きてほしい」と願っている
スピリチュアルな視点でお話しすると、亡くなった方の魂は、とても穏やかな場所にいます。
そこから見えるのは、残された人がどう生きているか、どんな表情で日々を過ごしているかです。
私が守護天使とつながる中で何度も受け取ってきたメッセージがあります。
それは、「悲しみの中に閉じこもらないで」という言葉です。
亡くなった人は、新年を祝ってほしいと思っています。
それは派手なお祝いではなく、「また一年、生きていくね」という静かな決意を感じてほしいからです。
喪中の新年のあいさつをしたからといって、故人への想いが薄れることはありません。
むしろ、「あなたを想いながら、私は前に進むよ」という愛の形なのです。
私自身、心の中で「明けましておめでとう」とそっとつぶやいた瞬間、
白い光の中で、亡くなった家族が微笑んでいるビジョンを受け取りました。
責める気配は一切なく、安心したような、ほっとした空気だけがありました。
人の目より、自分の心にやさしくする
喪中の新年のあいさつをためらう理由の多くは、「どう思われるか」です。
非常識と思われないか、失礼ではないか。
でも一番大切なのは、自分の心がどう感じているかです。
無理に我慢を続けると、悲しみが長引いたり、自分を責める癖が残ってしまいます。
新年は、新しい一年の始まりです。
喪中であっても、時間は流れ、朝は来て、季節は巡ります。
それを否定しなくていいのです。
声に出してあいさつしなくても、心の中で新年のあいさつをしてもいい。
「今年も生きるよ」「今年も大切に生きるよ」
その宣言こそが、魂にとっての節目です。
人が決めたルールより、自分の心が少し楽になる選択をしていい。
それは、わがままではありません。
癒しの第一歩です。
喪中でも、新年のあいさつをしていいのです。
亡くなった人は、あなたが笑顔を取り戻すことを願っています。
悲しみを大切にしながら、生きる喜びも抱えていい。
その両方を許したとき、心は静かに前を向き始めます。
新しい一年が、あなたにとって、少しずつ光が差し込む時間になりますように。
無理をせず、自分の心にやさしく過ごしてくださいね。
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