人は誰でも、「自分は悪くない」と思いたくなる瞬間があります。
たとえば誰かに誤解されたり、傷つくような言葉を言われたとき。
心のどこかで、「だってあの人が…」と相手を責めたくなることは、きっと誰にでもあるはずです。
でも、それは決して悪いことではありません。
あなたが自分を守ろうとしているだけなのです。
人間の心には、危険や痛みから自分を守るための防衛本能があります。
だから、責める言葉の裏には、たいてい「本当は悲しかった」「わかってほしかった」という気持ちが隠れています。
正義という鎧は、心が傷つかないようにするための保護服のようなもの。
それを着るのは、弱いからではなく、優しいからなのです。
「あの人が悪い」と思うとき、心の奥では…
たとえば、パートナーの裏切りを知ったとき。
「相手が悪い」「裏切ったのはあの人だ」と思うのは自然な反応です。
でも、心の奥を少しだけ見つめてみると、そこには別の感情が潜んでいるかもしれません。
「どうして私を選んでくれなかったの?」
「私は何か足りなかったのかな?」
そんな痛みがあるからこそ、人は怒りという形で自分を守ろうとするのです。
つまり、「責める」という行為は、心が必死に自分を守っているサイン。
だから、誰かを責めてしまったときは、「ああ、私、傷ついてたんだな」と気づいてあげてください。
正義の裏にある、優しさと恐れ
「正しいことをしているはずなのに、なぜか心が苦しい」──そんな経験はありませんか?
それは、正義の裏側に恐れが隠れているときに起こります。
私たちが“正しさ”を主張するとき、そこには「間違えたくない」「悪く思われたくない」という恐れが潜んでいることがあります。
でも、その恐れはもともと“愛”の裏返し。
「人を守りたい」「自分を大切にしたい」という優しさが、形を変えて現れているだけなのです。
だから、もし誰かと意見がぶつかっても、「私の中の優しさが、ちょっと強く出ちゃったのかもしれない」と、そう思えたら、心は少しだけやわらかくなります。
正義は悪ではありません。
ただ、恐れと混ざると、攻撃に変わってしまう──そのことに気づいていくだけで、ずいぶん世界は穏やかになります。
「自分も愚かだった」と認める強さ
人は、完璧ではありません。
怒ったり、言い訳したり、誰かを責めたり……。
それも全部、人間として自然なことです。
けれど、「あのときの私は、ああするしかなかったんだな」と理解できると、心がすっと軽くなります。
それは、自分を責めない勇気。
そして、「自分にも愚かさがある」と認めることは、決して弱さではなく、深い強さなのです。
人の愚かさを見つめることは、光と影の両方を受け入れること。
そのとき、あなたの中にあった“判断”が、“理解”へと変わっていきます。
理解の先にあるのは、静かな安心感です。
正しさよりも、やさしさを選ぶ生き方
誰かを正そうとするより、その人の痛みを感じてあげる。
自分の正義を守るより、自分の心をいたわってあげる。
そうして少しずつ、世界はやさしさで満たされていきます。
“正しさ”は時に人を分けるけれど、
“やさしさ”は人と人をつなげてくれます。
だから、今日もし何かに腹が立ったり、悲しくなったときは、
どうか自分にこう言ってあげてください。
「私は、守りたかったんだね」
その言葉は、あなたの心をもう一度、やさしく包み直してくれるでしょう。
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