図書館でふと手に取った一冊の小説『裏アカ』(大石圭著)。読み終えたあと、どこか胸の奥がざわつきました。
そこに描かれていたのは、誰かに「認められたい」「見てほしい」という切実な願い。
けれど、その願いの果てにあるのは、必ずしも幸せではないという現実。
この物語を通して感じたのは、「承認欲求」は誰の心にもある自然な感情だということ。そして、それをどう扱うかで、人生の質が大きく変わるということでした。
今日は少しだけ、この“承認欲求”という心のテーマを、スピリチュアルな視点と心理学の両面から見つめてみたいと思います。
承認欲求は、誰の中にもある“心の栄養”
承認欲求とは、「誰かに認められたい」「自分の存在を肯定してほしい」という気持ちのこと。心理学では、アブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説」の中で、人が生きるうえで欠かせない“社会的欲求”として位置づけられています。つまり承認欲求は、人間である以上、誰の中にも自然に存在する心の働きなのです。
この欲求は、幼いころの「お母さん、見て!」という気持ちから始まります。小さな子どもが絵を描いて見せたり、何かをできたときに褒めてほしいと思うのは、ごく自然なことですよね。それは「愛されている」という確信を得たい心の表れです。大人になっても、その根っこは変わりません。仕事での評価、人間関係での反応、SNSの「いいね」など、形を変えて私たちの心の中で生き続けています。
問題は、その“欲求の向け方”です。本来、承認欲求は心を成長させるための栄養のようなもの。自分の中に温かく満たされる形で育てれば、やる気や愛情の源になります。しかし、その栄養を「他人の評価」だけに頼ってしまうと、次第に心は飢えていくのです。心理学では、外からの承認ばかりを求め続ける状態を「外的承認依存」と呼びます。この状態が続くと、自分の価値を自分で感じられなくなり、他人の一言で一喜一憂するようになります。
スピリチュアルな視点で見ると、承認欲求とは「魂が自分自身の光を思い出したい」というサインでもあります。人は本来、誰かに認められなくてもすでに尊い存在です。ただ、その真実を忘れてしまうからこそ、外側に「あなたは価値がある」と言ってほしくなるのです。けれど、本当の承認は外から与えられるものではなく、内側から静かに満ちてくるもの。自分の小さな努力や優しさに気づいて「よくやっているね」と声をかけることが、心のエネルギーを満たしてくれます。
承認欲求は悪者ではありません。それは私たちの心が、つながりを求めている証。大切なのは、その欲求を他人の手に委ねず、自分の心の中で温めてあげることです。そうすることで、外側の評価に左右されず、やわらかく満ちた心の状態で日々を生きられるようになります。
比べる心が苦しみを生むとき
私たちは生きている限り、何かと「比べる」世界の中にいます。
仕事の成果、収入、見た目、フォロワーの数。SNSを開けば、誰かの幸せそうな写真や成功の報告が目に入ります。無意識のうちに「自分はどうだろう」と比較してしまう――そんな経験をしたことのある人は多いのではないでしょうか。
心理学者レオン・フェスティンガーは、これを「社会的比較理論」で説明しました。人は自分の価値を確認するために、他人との比較を行う生き物なのだそうです。つまり、比べることそのものは自然なこと。ですが問題は、その比較の矢印が「自分を否定する方向」に向いたときです。
「どうして私はあの人みたいにできないのだろう」
「私の努力は報われていない」
そんな思いが心に生まれると、承認欲求が“苦しみ”に変わっていきます。どんなに頑張っても、他人の成功を基準にすれば、自分はいつも足りなく感じる。まるで、終わりのないマラソンを走っているような感覚です。
けれど、スピリチュアルな視点から見ると、私たちは誰一人として同じ魂ではありません。それぞれが異なる学びと目的をもってこの地上に生まれてきています。だから、他人のタイミングや結果と自分を比べても意味がないのです。花に例えるなら、桜が春に咲くように、向日葵は夏に咲く。その開花の時期が違うだけで、どちらも同じように美しい。
もし今、誰かを羨ましいと感じるなら、それはあなたの中に“同じ可能性の種”が眠っているサインです。比較の苦しみを否定せず、その感情を「成長への合図」として受け取ってみてください。誰かを見て心が揺れるとき、実は自分の魂が「私もあの光を思い出したい」とささやいているのです。
そして、思い出してほしいのは――本当の幸せは“競争の中”ではなく“調和の中”にあるということ。誰かを追い抜くことで手に入れる安心は一瞬ですが、自分のペースで歩んでいるという静かな満足感は、永続する安らぎをもたらします。
他人と比べることをやめ、自分の歩幅で生きること。それが、承認欲求の痛みを癒す最初のステップなのです。
自分で自分を満たすということ
承認欲求の苦しさを和らげるために最も大切なのは、「他人に満たしてもらう」ことではなく、「自分で自分を満たす」ことです。心理学者カール・ロジャーズは、「人は無条件に受け入れられたとき、初めて成長する」と語りました。けれど、現代社会では他人からの承認を得るよりも、自分自身を受け入れることのほうがずっと難しいのかもしれません。私たちは知らず知らずのうちに「もっと頑張らなくちゃ」「まだ足りない」と、自分に厳しい言葉をかけてしまっています。
でも本当は、誰かに「よくやったね」と言われなくても、あなたはすでに十分に頑張っているのです。毎日を生きていること、時に迷いながらも前に進んでいること。それだけで、あなたの魂はちゃんと成長している。スピリチュアルな視点から見れば、私たちの魂は常に「今の自分を愛する」ことを学んでいます。欠けている部分を探すより、「ここまでできた自分」を見つめてあげる。それが自己承認の第一歩です。
とはいえ、ただ「自分を好きになろう」と言われても、急にはできません。だからこそ、日常の中で“小さな承認の習慣”を取り入れてみてください。たとえば、朝の鏡の前で「今日もよく生きてるね」と心の中でつぶやく。仕事や家事を終えたあと、「私、今日もちゃんとやった」と言葉にしてみる。誰かに優しい言葉をかけたとき、自分で「いい行動だったね」と認めてあげる。そうした小さな言葉が、心の奥に静かな満足感を積み重ねていきます。
また、瞑想もとても有効です。静かな時間の中で、呼吸に意識を向けると、思考のざわめきが少しずつ静まっていきます。その沈黙の中で、自分の内側にある“もう一人の自分”――魂の声が聞こえることがあります。それはとても穏やかで、優しく、まるで天使の囁きのようです。その声が教えてくれるのは、「あなたはそのままでいい」「愛されるために生まれてきた」という真実。
外の世界に答えを探すのをやめ、自分の心に帰るとき、承認欲求は苦しみではなく、やさしい光へと変わっていきます。あなたの心が自分自身を抱きしめられるようになったとき、他人の評価はもはやあなたの価値を決めるものではなくなります。
承認欲求は、決して悪いものではありません。それは、あなたの中にある「もっと愛を感じたい」という心の自然な声です。大切なのは、愛を外に求めすぎず、自分の内側から育てていくこと。比べる心を手放し、静かな時間の中で自分を認めるとき、あなたの魂は本来の光を取り戻します。誰かに証明されなくても、あなたはすでに尊く、ここに存在しているだけで意味がある――そのことを、どうか忘れないでください。
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